エッセイ : 自転車で転んだ日
あれは多分、幼稚園に入るか入らないかくらいのことだ。
その日わたしは、祖父と一緒に自転車に乗っていた。というより、乗せてもらっていた という表現が正しい。今でも時々見かけるが、自転車のこぎ手の前に取り付ける小さなイスに乗っていたのだ。イスからは先の曲がった爪が左右に出ていて、これをハンドルにちょいと引っかけて固定する奴だ。足を前輪に巻き込む危険性からか最近はあまり見かけなくなったが、自転車屋には今でも売っているはずだ。
祖父とわたしは、夏 (だったと思う) の陽射しを浴びながら軽やかに走っていた。もちろん “軽やかに” という表現はわたしの勝手な印象であり、実は祖父は重たいペダルを必死にこいでいたかも知れない。
さて、どこをどう走ったのかは定かでない。が、多分大川の土手を目指していたと思う。
祖父は鋭角な三叉路のカーブを曲がるために、ハンドルを右に切った。その三叉路は、アルファベットの ‘Y’ のような大変鋭角な形状だった。恐らく祖父は曲がりきれると思ったのだろう、あまりブレーキもかけないでハンドルを操作した。誠に運の悪いことにその三叉路は舗装されておらず、細かい砂利道であった。
あっと言う間の出来事だった。
気がつくと、わたしは砂利に右頬を押しつけて倒れていた。自転車は横倒しとなり、カリカリと軽い金属音を放ちながら車輪を空回りさせていた。
視野の中に祖父がいない。
慌ててくるりと寝返りを打つと、祖父が背中をこちらに向けて倒れていた。
しばらく眺めていたが身動きしない。
次の瞬間、わたしの心はパニック状態になった。祖父が死んだと思ったのだ。どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・。
恐る恐る声をかけた。
「おじいちゃん・・・・・」。
「ん・・・・・?」。
祖父はごろりとこちらを向いた。笑っていた。満面の笑顔だった。その笑顔のまま言った。
「大丈夫かい?」。
おいおい、笑ってるぜ。“大丈夫かい” って、それはこっちの台詞だ。こっちは慌てたんだから、ほんとに頼むぜ、まったく。
今にして思えば、あれは照れ笑いだったに違いない。
それから二人はモソモソと立ち上がり、再び自転車で走り出した。特にどこがどう痛かったわけでもなく、祖父も何ともなさそうだった。あの細かい砂利がクッションになったおかげで、打ち身もなくすんだのだと思う。
先日、自転車を入手した。マウンテンバイク型の、自動車メーカがデザインしたそれは、白いメタリックのボディを輝かせながら 「ちょっと走ってみようぜ」 と誘いかけてきた。
その誘いに応じて自転車にまたがった瞬間、あの懐かしい夏の出来事を思い出した。そして、あの時の祖父の満面の笑顔も。
その笑顔は、ほんの一瞬でわたしの心に焼き付いたのだった。
その日わたしは、祖父と一緒に自転車に乗っていた。というより、乗せてもらっていた という表現が正しい。今でも時々見かけるが、自転車のこぎ手の前に取り付ける小さなイスに乗っていたのだ。イスからは先の曲がった爪が左右に出ていて、これをハンドルにちょいと引っかけて固定する奴だ。足を前輪に巻き込む危険性からか最近はあまり見かけなくなったが、自転車屋には今でも売っているはずだ。
祖父とわたしは、夏 (だったと思う) の陽射しを浴びながら軽やかに走っていた。もちろん “軽やかに” という表現はわたしの勝手な印象であり、実は祖父は重たいペダルを必死にこいでいたかも知れない。
さて、どこをどう走ったのかは定かでない。が、多分大川の土手を目指していたと思う。
祖父は鋭角な三叉路のカーブを曲がるために、ハンドルを右に切った。その三叉路は、アルファベットの ‘Y’ のような大変鋭角な形状だった。恐らく祖父は曲がりきれると思ったのだろう、あまりブレーキもかけないでハンドルを操作した。誠に運の悪いことにその三叉路は舗装されておらず、細かい砂利道であった。
あっと言う間の出来事だった。
気がつくと、わたしは砂利に右頬を押しつけて倒れていた。自転車は横倒しとなり、カリカリと軽い金属音を放ちながら車輪を空回りさせていた。
視野の中に祖父がいない。
慌ててくるりと寝返りを打つと、祖父が背中をこちらに向けて倒れていた。
しばらく眺めていたが身動きしない。
次の瞬間、わたしの心はパニック状態になった。祖父が死んだと思ったのだ。どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・。
恐る恐る声をかけた。
「おじいちゃん・・・・・」。
「ん・・・・・?」。
祖父はごろりとこちらを向いた。笑っていた。満面の笑顔だった。その笑顔のまま言った。
「大丈夫かい?」。
おいおい、笑ってるぜ。“大丈夫かい” って、それはこっちの台詞だ。こっちは慌てたんだから、ほんとに頼むぜ、まったく。
今にして思えば、あれは照れ笑いだったに違いない。
それから二人はモソモソと立ち上がり、再び自転車で走り出した。特にどこがどう痛かったわけでもなく、祖父も何ともなさそうだった。あの細かい砂利がクッションになったおかげで、打ち身もなくすんだのだと思う。
先日、自転車を入手した。マウンテンバイク型の、自動車メーカがデザインしたそれは、白いメタリックのボディを輝かせながら 「ちょっと走ってみようぜ」 と誘いかけてきた。
その誘いに応じて自転車にまたがった瞬間、あの懐かしい夏の出来事を思い出した。そして、あの時の祖父の満面の笑顔も。
その笑顔は、ほんの一瞬でわたしの心に焼き付いたのだった。
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